道
長く留まればその土地に親しみが生まれ、いちばん大切な神への愛を忘れてしまう。だから2年ごと各地の僧院を巡るのだと修道女は言った。優しく朗らかな彼女らが十字架と共に旅する代わりに、貧しき芸人は喇叭と太鼓を携えて往く。 当面の食い扶持のため古着のように売り飛ばされたジェルソミーナは惨めだし、羽を生やした綱渡師の言う通り、彼女に語りかけたいと思いつつも吠えるしかない愚かな犬のごときザンパノもまた、目を背けたくなるほどに痛ましい。小さな石ころに価値を見つけるように、彼らはその不仕合せにあって互いの中にか細い光を見る。苦しく、醜く、拙くとも。 綱渡師を死なせてしまってから後のザンパノの振る舞いが気にかかる。ショックを受け働けなくなったジェルソミーナを厄介払いで捨てた、そればかりではないように見える。スープを作り、故郷が恋しくはないかと問いかけ、陽に当たるよう促し、去るときにはいくらかの金と、彼女の好きな喇叭を与える。他の女と遊びに行く夜でさえ独り通りに放り出したというのに、狼藉者はそれまで一度でもこんな眼差しを彼女に向けただろうか。ただ追い詰められ憔悴した

keiichiroyamazaki
6月5日
風薫る
昨年のconcealでの個展の直前、初夏の陽気の晴れた5月の休日に、麻布台の袋小路の奥にある戦前1930年代に建てられたアパートを訪ねた。そこには催しでオープンしていることがめったにない小さなギャラリーがあって、めずらしく開廊している様子だったからだ。その日行われていたのは愉快なアロマセラピストさんによる「香りの展覧会」で、たしかパッションフルーツの花がベースだったと思うが、華やかさを抑えた奥ゆかしい甘い香りに「贖罪」をイメージさせるキャプションが添えられていた。窓からさわやかな外光の射し込む、とても静かな午前のひとときだった。 精油を選び組み合わせながら香りを作ることができると言うので、面白そうだからやってみることにした。高校から大学にかけて愛用していたPACO RABANNEが販売停止となって以来(その後現在ではまた売られているようだが、同じものかどうかは不明)ワインを飲むようになったせいもあって香りを纏う習慣はなく、心得は全然なかったが、目の前に並ぶ小瓶の蓋に書かれたボタニカルの名前の中に「ジュニパー」を見つけたから、それとライムをベースに

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5月25日
写真
トップページ画像の色味を変えた。 このミラーセルフィーはたしか2017年の2月か3月ごろ撮ったもので、ニコンF2アイレベルと、八角形の光源を見るにおそらくレンズはnew nikkor 50mm f1.4だろう。この頃は絞りを8でほぼ固定してシャッタースピードで露出を合わせていた。アイレベルには露出計が搭載されていないからいつもセコニックをポケットに入れていたし、今よりもずっとまともに写真をやっていたと思う。前の日から横浜にいて、遅い朝の気だるさにまかせて、コレットマーレの下りエスカレーターで漫然とシャッターを切った。 個展を開いてみようとはもう考えていて、仕様の検討を始めていた。いくつかの作品は撮れていたが、自分がやっていることはそもそも写真ではないのだから他人や業界のことはまったく無視してかまわない、行動原理はたくさんの人に見ていただくことにないからフィジカルでないものすべてを切り捨ててよい、雑音を排してそう言えるまではもう少し時間が必要だった。今、その手の迷いはまったくないが、落ち着かない模索の日々も振り返れば愛おしい。 サイトの開設は201

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5月11日
朝
夜明け前。小雨。咳の残った病み上がりで始発を待っている。昨冬は一度も風邪を引かなかったというのに桜も見頃を過ぎた今になって捕まるとはおもしろくない。幸い緩慢な症状だったから誤魔化しながら仕事をして、眠気でぼうっとしながら腰のあたりにじんわり疲労を感じている。本の同じページを開いたままうたた寝をして、はっと目が覚めて思いきり背伸びをしたらいくつもの小さな星が揺れるように流れていった。このひと月ほどの間に胸を締めつけられるようなひどい出来事がいくつもいくつも立て続けに起きて、正直かなり鬱屈した心持ちだ。求めて、満たされて、ますます飢えて、貪って、気づけばすっかり魂は荒れ果てて、そんなサイクルを平気でぐるぐると際限なく回し続けて人間はどうしたら幸福に生きそして死んでゆけるというのだろう。目を閉じれば会いたいひとの姿がいつでもそこにあって、アップルティーはこんなにも温かく、甘く優しく香るというのに。 朝がやってくる。眠ろう。

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4月16日
レイン・ツリーの夜
その場所に灯があることは知っていたが、訪ねてみたことはなかった。あの日、私は訳もなくふらふらとそこまで歩いてゆき、それが古本屋だと理解するよりも早く、ドアに手をかけていた。小さな石油ストーブと、あたたかな電球の光。書架の本はどれも古びて褐色に褪せ、店内は些か雑然としてもいたが、それでも愛情というか、願いとでも言おうか、そういう類の凛とした何かが隅々にまで満ち溢れているのが感じられて、胸が弾んだ。ギャラリーに一歩足を踏み入れて、そこにある作品がすばらしいものであるに違いないと瞬時に身体が理解する、あの感覚と同じものだ。 エキゾチックな雑貨のテーブルと小さなカウンターの脇を通り過ぎて、奥には心理学の棚、その隣にはエマニュエル・レヴィナス、モーリス・メルロ=ポンティ、クロード・レヴィ=ストロース、ロラン・バルト。さらに手前の棚に並ぶ音楽に関わる書籍の中に、ふいに武満徹の名前を見つけると、ポケットの中に入れていた大江健三郎が微かに震えたような気がして、ぞくりとした。手に取り開いてみたその本は武満氏本人の遺したエッセイや親交のあった人々が氏やその音楽につい

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3月4日
邂逅
広く、ひんやりと冴えた空気が静かに流れぴんと張りつめた廊内は明るくも暗くもなく、足音を立てることも憚られた。自分の他に人は誰もいなかった。すべて作品は金属で、表面の風合いによって木のようにも石のようにも、あるいはしなやかで弾力のある樹脂のようにも見えた。亀、蜻蛉、阿修羅、そして炎のような形を成さぬもの、滑らかな円筒のようなもの、古代に彫られた石の像に似せたもの。なりふり構わない、そんな第一印象だった。 ステイトメントや過去のテクスト類の中にメチエという用語を見た。人間のひとりひとりにそれぞれ声があるように、真摯な作品はそれが何であれ、また年月とともにどのように変化しようとも一貫した質感や雰囲気を纏っている。生前の彫刻家を私は知らなかったが、その雑多な作品群からはどこか仏具のような、軽々しく手を伸ばしてはならない厳かさと凄みが感じられた。素材から像を切り出すのではなく、この世界から可能なかぎり純粋な形で己のメチエを切り出そうとしたのだろうか、静かで、しかし激しい壮絶な人生が想像された。 作品とはどこからどこまで作品で、人間はどこからどこまで自己なの

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2月6日
メトープ
仕事で疲れ果てて、まともに読書をするような気力もなくて、ふと、昨年夏に作った歌集をぱらぱらと捲ってみた。昔詠んだなつかしい歌を引っ張り出して手直ししたり、記憶を頼りに新たに詠んだりと奮闘していたのがずいぶんと昔のように感じられる。 詠まれているのはギャラリーで見たものの記録代わりであったり、何気ない風景であったり、友人や知人、親族や恋人であったり。ひとに関わるものについては特に瑞々しくその記憶を呼び起こすもので、それが読まれる方にどのように届くものかはわからないが、その力の強さに驚くばかりだ。 凝らすような技巧はもともと私にはないから、詠まれている言葉は多少古めかしくとも基本的にまっすぐ素直なもの。それでも、見たもの、聴いたもの、触れたものと私とが関わり合うその在り方、ぬくもりのようなものは私だけのもので、しかしそれを私の外に持ち出してみようというちょっとした挑戦、届くという結果を期待しない遊戯のようなものが、いかなる形であれ表現と呼ばれるのだろう。 ぐちゃぐちゃに感情を掻き乱されて、何とか自分の軸を保とうとして、何の未来もないひどい日々だという

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1月24日
あけましておめでとうございます
あけましておめでとうございます。昨年も大変お世話になりありがとうございました。例年、秋に一度の個展だけのシンプルな生活を送ってきましたが、2025年は2度の個展やそれ以外の制作があり、また私生活での困難も重なり慌ただしく過ぎてゆきました。今年も11月ごろ個展を予定しておりますので、また皆様にお会いできるのを楽しみにしております。 私の人生は幸福ではありますが、基本的に健やかなものではありません。制作が生活の中心であり、作品が扱うものが人間そのものに関わる問題であり、そして現代がどのような時代かを思えば私の精神が常に悲観的な方向へ傾いているのはやむを得ないことです。しかしながら私は同時に享楽主義者でもあり、どんな考えの下に生み出されたものであっても最終的にはひとの目を喜ばせるべき、肉体的快楽を供するものであるべきだと心得ていて、私自身もそれを心から楽しんでいます。 人間は記号の向こうにあるものを他者と本当には共有することができません。誰しもがその内面に自分だけの世界を、意味を、人生を持っています。作品における正しさとは、言葉がそうであるように、それ

keiichiroyamazaki
2026年1月1日
