瞬間
個展の作品はいつも半年前にはおおまかに組んでしまう。並べた状態で何度も眺めて、仕事や雑事に追われて半ば忘れて、あらためてまた眺める。時間をかけると見え方が変わる時があるから、少し入れ替えてみたり、仮で仕上げた濃度を微調整したり、だらだらとそんな日々を過ごすうち、ふっと全体がくっきりと浮かび上がってくる瞬間が訪れる。こうなるとそこから先はほぼ動くことはないから、最終的なプリントを作る段階に移行する。今年は昨年に輪をかけて慌ただしい夏となり、春に組んだ作品も半ばどころか7割8割忘れているような感じだったが、無事に昨夜「瞬間」を迎えた。 すこし前、彫刻を見た。「具象の彫刻などという今時流行らぬことをやっています」と奥様は謙遜されたが、動かずともその筋肉が姿勢を保つために働く静中動の力学を描き得るのはやはり人や生き物を模った具象の彫刻であり、その真髄を確かに捉えたすばらしい個展だった。それがそれとしてそこに確かにあるということ、アートとは各々が各々の方法でその神秘を解き明かそうとすることで、私にとっては「瞬間」を迎えているかどうかがその深度の指標となる。

keiichiroyamazaki
8月29日
天秤棒に心をかけて
練習や人に会う目的でしかたなく行きはするものの基本的にジャムセッションが好きでない理由はいくつかあるが、そのうちのひとつが撮影や録音だ。誰彼かまわず演奏者の写真や動画を撮ったり録音したり、さらにそれをSNSで撒き散らすようなひとが今なお少なくない。だから3年前、西小山でのライブを控えて調整のため行ったセッションでご一緒したピアニストの女性と偶然とある駅で再会したとき、セッションの演奏を録ったものをあるひとに送ったと聞いて、はじめは正直、不愉快に感じた。 よく話を伺ってみると、録音の送り先はあるトランペッターの方だという。私がお会いしたのはたしか2回。まだ音楽活動をしていた昔、一緒に演奏をしていた仲間と彼がよく共演していて、お互いのライブで演者と客として、というシチュエーションで顔を合わせることがあった。ピアニストの彼女もオーディエンスとしてそこにいたそうで、セッションで会った日に私のことを覚えているとおっしゃっていた。 穏やかなお人柄と渋い演奏がとても魅力的な彼とは互いのライブの中で一曲ずつ、シットインで共演もさせていただいた。静かでやわらかい内

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7月21日
鈍く青白い光
めずらしく人前で演奏をする機会があったので、楽器の基礎練習のため近くのスタジオの会員証を作って、ひと月ほど足繁く通った。 平日の、夜のロビー。雑然とも整然ともつかず所狭しと並んだ機材が蛍光灯の光を愛想なく反射している。くたびれた様子で喫煙室へ入っていく絵に描いたようなレザーパンツ姿の古典的ロックミュージシャン、レッスン講師と生徒が次回の予定の打ち合わせをし、ガールズバンドの女の子たちのおしゃべりはカフェでするよりもずっと控えめだ。音楽が生命を授かる崇高な場所であるというのに水泳のあとの授業や明け方のファミリーレストランのような退廃のムードが充満し、しかし分厚いドアで仕切られたいくつもの部屋からは重い低音が絶え間なくずんずんと響いてくる。こういう場所の雰囲気はいつの時代も変わらないものらしい。 若い頃、毎夜のようにこうして小さなスタジオに独り籠った。何がなんだかわからず請われるままに演奏をして、知らない音楽を体当たりで学び、ひと月を一年と感じるような濃密な歳月を過ごしていた。ステージには色とりどりの光が舞って、誰が誰だかわからぬほどたくさんの人と出

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7月8日
道
長く留まればその土地に親しみが生まれ、いちばん大切な神への愛を忘れてしまう。だから2年ごと各地の僧院を巡るのだと修道女は言った。優しく朗らかな彼女らが十字架と共に旅する代わりに、貧しき芸人は喇叭と太鼓を携えて往く。 当面の食い扶持のため古着のように売り飛ばされたジェルソミーナは惨めだし、羽を生やした綱渡師の言う通り、彼女に語りかけたいと思いつつも吠えるしかない愚かな犬のごときザンパノもまた、目を背けたくなるほどに痛ましい。小さな石ころに価値を見つけるように、彼らはその不仕合せにあって互いの中にか細い光を見る。苦しく、醜く、拙くとも。 綱渡師を死なせてしまってから後のザンパノの振る舞いが気にかかる。ショックを受け働けなくなったジェルソミーナを厄介払いで捨てた、そればかりではないように見える。スープを作り、故郷が恋しくはないかと問いかけ、陽に当たるよう促し、去るときにはいくらかの金と、彼女の好きな喇叭を与える。他の女と遊びに行く夜でさえ独り通りに放り出したというのに、狼藉者はそれまで一度でもこんな眼差しを彼女に向けただろうか。ただ追い詰められ憔悴した

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6月5日
風薫る
昨年のconcealでの個展の直前、初夏の陽気の晴れた5月の休日に、麻布台の袋小路の奥にある戦前1930年代に建てられたアパートを訪ねた。そこには催しでオープンしていることがめったにない小さなギャラリーがあって、めずらしく開廊している様子だったからだ。その日行われていたのは愉快なアロマセラピストさんによる「香りの展覧会」で、たしかパッションフルーツの花がベースだったと思うが、華やかさを抑えた奥ゆかしい甘い香りに「贖罪」をイメージさせるキャプションが添えられていた。窓からさわやかな外光の射し込む、とても静かな午前のひとときだった。 精油を選び組み合わせながら香りを作ることができると言うので、面白そうだからやってみることにした。高校から大学にかけて愛用していたPACO RABANNEが販売停止となって以来(その後現在ではまた売られているようだが、同じものかどうかは不明)ワインを飲むようになったせいもあって香りを纏う習慣はなく、心得は全然なかったが、目の前に並ぶ小瓶の蓋に書かれたボタニカルの名前の中に「ジュニパー」を見つけたから、それとライムをベースに

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5月25日
写真
トップページ画像の色味を変えた。 このミラーセルフィーはたしか2017年の2月か3月ごろ撮ったもので、ニコンF2アイレベルと、八角形の光源を見るにおそらくレンズはnew nikkor 50mm f1.4だろう。この頃は絞りを8でほぼ固定してシャッタースピードで露出を合わせていた。アイレベルには露出計が搭載されていないからいつもセコニックをポケットに入れていたし、今よりもずっとまともに写真をやっていたと思う。前の日から横浜にいて、遅い朝の気だるさにまかせて、コレットマーレの下りエスカレーターで漫然とシャッターを切った。 個展を開いてみようとはもう考えていて、仕様の検討を始めていた。いくつかの作品は撮れていたが、自分がやっていることはそもそも写真ではないのだから他人や業界のことはまったく無視してかまわない、行動原理はたくさんの人に見ていただくことにないからフィジカルでないものすべてを切り捨ててよい、雑音を排してそう言えるまではもう少し時間が必要だった。今、その手の迷いはまったくないが、落ち着かない模索の日々も振り返れば愛おしい。 サイトの開設は201

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5月11日
朝
夜明け前。小雨。咳の残った病み上がりで始発を待っている。昨冬は一度も風邪を引かなかったというのに桜も見頃を過ぎた今になって捕まるとはおもしろくない。幸い緩慢な症状だったから誤魔化しながら仕事をして、眠気でぼうっとしながら腰のあたりにじんわり疲労を感じている。本の同じページを開いたままうたた寝をして、はっと目が覚めて思いきり背伸びをしたらいくつもの小さな星が揺れるように流れていった。このひと月ほどの間に胸を締めつけられるようなひどい出来事がいくつもいくつも立て続けに起きて、正直かなり鬱屈した心持ちだ。求めて、満たされて、ますます飢えて、貪って、気づけばすっかり魂は荒れ果てて、そんなサイクルを平気でぐるぐると際限なく回し続けて人間はどうしたら幸福に生きそして死んでゆけるというのだろう。目を閉じれば会いたいひとの姿がいつでもそこにあって、アップルティーはこんなにも温かく、甘く優しく香るというのに。 朝がやってくる。眠ろう。

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4月16日
レイン・ツリーの夜
その場所に灯があることは知っていたが、訪ねてみたことはなかった。あの日、私は訳もなくふらふらとそこまで歩いてゆき、それが古本屋だと理解するよりも早く、ドアに手をかけていた。小さな石油ストーブと、あたたかな電球の光。書架の本はどれも古びて褐色に褪せ、店内は些か雑然としてもいたが、それでも愛情というか、願いとでも言おうか、そういう類の凛とした何かが隅々にまで満ち溢れているのが感じられて、胸が弾んだ。ギャラリーに一歩足を踏み入れて、そこにある作品がすばらしいものであるに違いないと瞬時に身体が理解する、あの感覚と同じものだ。 エキゾチックな雑貨のテーブルと小さなカウンターの脇を通り過ぎて、奥には心理学の棚、その隣にはエマニュエル・レヴィナス、モーリス・メルロ=ポンティ、クロード・レヴィ=ストロース、ロラン・バルト。さらに手前の棚に並ぶ音楽に関わる書籍の中に、ふいに武満徹の名前を見つけると、ポケットの中に入れていた大江健三郎が微かに震えたような気がして、ぞくりとした。手に取り開いてみたその本は武満氏本人の遺したエッセイや親交のあった人々が氏やその音楽につい

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3月4日
