伸ばした手の先に
いつか見た映像。マイケル・ティルソン・トーマスが指揮台に立っている。おそらく学生たちと見えるとても若いオーケストラのリハーサルで、演目はブラームスの1番だった。記憶がひどく曖昧だがこんな感じのやりとりがあった。交響曲の冒頭、序奏についてだ。 『これはどんな感情だと思う?』 「苦悩」 「逆境」 「絶望」 『絶望はしていないね。必死に手を伸ばしているだろう』 「希望」 「渇望」 「切望」 『いいね。切望。掴めそうで掴めない。でもそこにあるんだ』 字幕を読んでいたから、彼らがどんな言葉を選んだのかは覚えていない。desireだったかもしれないし、longかもしれない。yearn、crave、様々な表現が考えられ、こうした繊細な語彙には意味がほとんど同一のようなものも珍しくないから、訳語の違いに囚われすぎないよう周辺視的に読む必要がある。私には日本語のほか満足に使える言語はないが、この話題の中で指揮者が思い描いたであろう語にはひとつ心当たりがあった。それはきっと「Sehnsucht」で、このドイツ語はどうやら「甘美な欠如・渇き」「強い憧れ」「恋慕う」とい

keiichiroyamazaki
12月4日
御礼と追憶
大変遅くなってしまいましたが、今年もzakuraでの個展にお越しいただきありがとうございました。誰も来なかろうが知ったことではない、という偏屈な態度でお送りしているささやかな個展ですが、知っているのと全然違う子供のような顔をされて作品をご覧になる皆様の姿を横から見ているのはとても幸せなものです。ビルの建て替え計画も明らかになって、あと数年はあの場所でお送りできそうですので、また来秋に皆様をお迎えできたらと思っています。 個展を終えて諸々事後対応があり、仕事に忙殺され、ショックな出来事があったりとしばらく落ち着きませんでしたが、ようやくひと息ついて、若干寂しさと虚無の混じったふわふわとした解放感を今は楽しんでいます。会いたいミュージシャンもいるからジャムセッションにでも行こうかと思っていたところ、唐突ながらここ5年ほどの間どうしても思い出すことができず悶々としていた遠い記憶を取り戻しましたので、ここにメモしておきます。 東京倶楽部目黒店は「Jay-J's Cafe」 東京倶楽部本郷店は「Room#1102」 私がまだ音楽をやっていた2000年代の半

keiichiroyamazaki
11月21日
個展についてのご案内
今年は色々なことがあって、いつの間にか秋の個展を迎える季節になっていました。 といっても私は手元を過剰に簡潔にして他人から見れば無駄にしか見えないほど時間をかけなければものを作れない性質で、だから決して常時たくさんの案件を抱えているような状態ではありませんでしたが、あくまで私の基準で考えるなら非常に慌ただしくて身動きが取れず、今年はずいぶん栞を余らせてしまいました。やはりクライアントワークは馴染みませんね。 今回の個展タイトルは「F/P」 硬くも柔らかくもなく 明るくも暗くもなく 温かくも冷たくもなく なつかしくも瀟洒でもなく…(以下、無限に続き) 語らず、伝えず、ただ存在であること という制作において私が努力目標とするものを「Freezing Point of representation(表象の氷点)」という言葉で表したものです。 個展詳細 https://keiichiroyamazaki.wixsite.com/blog/exhibitions zakuraサイトの展示情報(短縮URLで申し訳ありません) https://x.gd/Kcw

keiichiroyamazaki
11月6日
道化
学生時代に働いた街を歩いた。もう25年も経つというのに街並みはあまり変わることもなく、お店はとうの昔になくなってしまったがなつかしいビルはきれいに維持されて、あの頃と同じフロアに残っているテナントもあった。めずらしくスマートフォンで何枚か写真を撮ったが、レンズの歪みがひどくて、やはり使う気にはなれないと思った。 若かったが希望はなかった。苦しい生活をして将来のことを考える余裕もなく、それでも友人には恵まれて、恋人がいて、いちおう目先の一日一日を笑って過ごしてはいられた。音楽を通して世界が一変する前夜、2000年になろうかという頃から8年ほどの、耐えるばかりの日々。流されるまますっかり自堕落な人格が形成されたのはこのころの生活の影響がとても大きいだろう。それ以前はもう少し勤勉でましな人間だったはずだ。 プロコフィエフを聴く。彼の音楽の本質は「ピエロのような喜劇性」だ。知的で冷徹で、皮肉に満ち、揶揄や嘲笑めいてユーモラスで。人間らしい情緒を笑い飛ばすかのようなそのグロテスクさにはある種の哀愁があって、しかしその悲喜交々を業のように抱える人間はそれゆえ

keiichiroyamazaki
10月30日
図書室
「読み聞かせによい本はないか?」 という相談があった。ボランティアで小学校に行くのだそうで、学年と時間はと聞けば「1年生から6年生、希望者のみでおそらく少人数、15分」とのこと。少し前まで幼児だった子ともうすぐ中学へ上がる子に同じものとはずいぶん乱暴な話だ。中勘助『鳥の物語』から『ひばりの話』といきたいところだが15分では収まりそうにないし、読み聞かせであれば作中最初のほうに登場するはた織りの唄は実際にふしをつけて歌ってあげる必要があるだろうから、素人には難しいかもしれないと思った。 幼いころ、子供向けのものを与えられるのがいやだった。大人と同じものがよかった。似せて作ったおもちゃと大人が使う本物とを、子供は見分ける。だから音楽をやっていた頃、いつもライブに来られないひと向けの子供連れ歓迎昼のジャズライブをやったときにも考え方を変えたりはせず、セットの最後にleft aloneなど選んで、全力で演奏した。未就学児もいたが一人もぐずることなく静かに最後まで聴いてくれてとても嬉しかった。堀文子氏も「子供に与えるものは最高のものでなければならない」と言

keiichiroyamazaki
9月24日
極圏を越えて
確かな技術と落ち着いた深い音色、リリカルな音楽性で知られるジャズトランペッター鈴木雄太郎氏の1stリーダーアルバム「Beyond The Arctic」のCDジャケットのデザインを急遽することになり、8月は丸々かかりっきりになっていた。雄太郎氏とは5年ほど前、ひさしぶりに楽器を吹いてみようと思い立って間もないある日高田馬場のジャムセッションで初めてお会いし、縁あって現在は時々ポートレートの撮影をしている。何度か個展にも来てくださって私がカメラマン業などクライアントワークに興味がなく基本的に請けていないことをご存知だというのに、奇特な方もいたものだ。 もともとは写真をジャケットに使わせてもらえないかという相談で、私の作品がジャズに合うとはまったく思えなかったが、彼なりのお考えもあるのだろうと新たに撮ったものをいくつか試しにお渡しして「リリース楽しみにしていますね」などと呑気なことを言っていた。その後よく話を聞くうちデッドラインまで全然時間がないにも関わらずアートワークはおろかタイトルも定まらず、イメージもあやふやという危機的状況が徐々に明らかになり

keiichiroyamazaki
9月12日
なつやすみ
いちおうお盆休みではあるのだけれど、稀有な案件があり立て込んでいる。その都合があって歌集の制作を前倒しにしたのだが、なんだかそれがずいぶん前のことのように感じられて、こんなふうに薄れてゆく記憶のためにこそ和歌のようなものがあるのだとつくづく思う。恥ずかしながらチェックが至ら...

keiichiroyamazaki
8月15日
歌集発売のお知らせ
本日中目黒SUTに歌集を納品しました。オンラインショップにはたぶん出てこないと思いますが店頭でご購入できます。サンプルも手に取ってお読みいただけますので、是非中目黒にお越しの際はお立ち寄りください。とても風情ある素敵なお店です。 ブログ:歌集について...

keiichiroyamazaki
8月2日
