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やまとうた

  • 執筆者の写真: keiichiroyamazaki
    keiichiroyamazaki
  • 7月14日
  • 読了時間: 3分

更新日:7月22日

唐突なのですが、歌集を作っています。


若い頃から下手の横好きでときどき和歌を詠んでいました。それを喜びそうなひとがいれば稀にお贈りすることもありましたが、基本的に他人様にお見せするわけでもなく、きわめて私的に。


今、私は写真をやっていて、それは音楽をやっていた頃と同じ命題と向き合う大切な手段となっています。私にとっての写真を言葉にするなら「人生を通して美なるものの謎、原理、核心といったものに近づこうとすること」で、結果として作品には私の感性の痕跡が残りはしますが、写っているのが何であるとか、そこがどこであるとか、そのときどう思ったのかとか、そうしたものを留めようとはせず、むしろ一切を削ぎ落とそうとしています。伝わるべき意味や情報が残っているがためにひとは安易にそれに縋り、ますます表層にあるものしか見ないようになり、感性が際限なく貧困になってゆく、そんな現代にあってアートはその片棒を担ぐのではなく抗う使命を持つのだ、といった態度を取っているからです。しかし一方で写真の本分はジャーナリズムにあり、どこに何がある、それがこんな思いを生む、そういうことを伝える責を果たしてきた偉大な歴史があるのも確かで、それは私とはまったく反対の立場と言えます。


そうは言いながら、私も一応ひとりの人間ではあって、写真でそれを表すつもりがないというだけで様々な思いを抱えて生きてはおります。そしてよく考えてみますと、どうやら私は世間で写真と呼ばれているものの代わりのように歌を詠んでいたのだ、ということのようです。和歌は簡素なメモや断片的な日記として、そのときに感じたもののすべてを優しくひとつに纏め上げて留めてくれるもので、その幽玄なるさまをどこかで知っていたからこそ、写真でものを留めるということに身も蓋もないけばけばしさを感じており、それが音楽での経験、記号論に触れたこととも相まって今の私のスタンスが形成されたのだと思います。


中目黒にSUT(Space Utility TOKYO)という場所があります。ZINEや書籍の小さなショップであり、ギャラリーでもある、山手通り沿いの風情ある長屋です。今年の始めにたまたま通りかかって、以来あれこれ展示を拝見したり、お話をしたり。とても素敵な場所ですので何らかの形で関わりを持てればとずっと思ってはいたのですが、写真における私の作風はそこで個展をやるにふさわしいものとはとても思えず、しかし和歌のほうはもっと本来の写真のようなイメージで馴染みそうに思えたので、恥ずかしながらまとめてみることにしました。


体裁は昨年作った個展用冊子と同様の文庫サイズで、ページ数もだいたい同じ100ページくらいになる予定です。まだ検討中ですが40〜50首の短歌を収録予定で、8月の中〜下旬にはSUTの店頭に並ぶことになると思います。発売後には私から直接にもお求めいただけますし、11月の個展にも持っていきますので、是非手にとってご覧ください。


山﨑慧一郎『歌集』

2025年8月発売予定

定価1,000円(税込)

発売が近くなりましたら改めてお知らせをいたします。


Space Utility TOKYO

 
 
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