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© Keiichiro Yamazaki
R E C E N T P O S T S
レイン・ツリーの夜
その場所に灯があることは知っていたが、訪ねてみたことはなかった。あの日、私は訳もなくふらふらとそこまで歩いてゆき、それが古本屋だと理解するよりも早く、ドアに手をかけていた。小さな石油ストーブと、あたたかな電球の光。書架の本はどれも古びて褐色に褪せ、店内は些か雑然としてもいたが、それでも愛情というか、願いとでも言おうか、そういう類の凛とした何かが隅々にまで満ち溢れているのが感じられて、胸が弾んだ。ギャラリーに一歩足を踏み入れて、そこにある作品がすばらしいものであるに違いないと瞬時に身体が理解する、あの感覚と同じものだ。 エキゾチックな雑貨のテーブルと小さなカウンターの脇を通り過ぎて、奥には心理学の棚、その隣にはエマニュエル・レヴィナス、モーリス・メルロ=ポンティ、クロード・レヴィ=ストロース、ロラン・バルト。さらに手前の棚に並ぶ音楽に関わる書籍の中に、ふいに武満徹の名前を見つけると、ポケットの中に入れていた大江健三郎が微かに震えたような気がして、ぞくりとした。手に取り開いてみたその本は武満氏本人の遺したエッセイや親交のあった人々が氏やその音楽につい

keiichiroyamazaki
3月4日
邂逅
広く、ひんやりと冴えた空気が静かに流れぴんと張りつめた廊内は明るくも暗くもなく、足音を立てることも憚られた。自分の他に人は誰もいなかった。すべて作品は金属で、表面の風合いによって木のようにも石のようにも、あるいはしなやかで弾力のある樹脂のようにも見えた。亀、蜻蛉、阿修羅、そして炎のような形を成さぬもの、滑らかな円筒のようなもの、古代に彫られた石の像に似せたもの。なりふり構わない、そんな第一印象だった。 ステイトメントや過去のテクスト類の中にメチエという用語を見た。人間のひとりひとりにそれぞれ声があるように、真摯な作品はそれが何であれ、また年月とともにどのように変化しようとも一貫した質感や雰囲気を纏っている。生前の彫刻家を私は知らなかったが、その雑多な作品群からはどこか仏具のような、軽々しく手を伸ばしてはならない厳かさと凄みが感じられた。素材から像を切り出すのではなく、この世界から可能なかぎり純粋な形で己のメチエを切り出そうとしたのだろうか、静かで、しかし激しい壮絶な人生が想像された。 作品とはどこからどこまで作品で、人間はどこからどこまで自己なの

keiichiroyamazaki
2月6日
メトープ
仕事で疲れ果てて、まともに読書をするような気力もなくて、ふと、昨年夏に作った歌集をぱらぱらと捲ってみた。昔詠んだなつかしい歌を引っ張り出して手直ししたり、記憶を頼りに新たに詠んだりと奮闘していたのがずいぶんと昔のように感じられる。 詠まれているのはギャラリーで見たものの記録代わりであったり、何気ない風景であったり、友人や知人、親族や恋人であったり。ひとに関わるものについては特に瑞々しくその記憶を呼び起こすもので、それが読まれる方にどのように届くものかはわからないが、その力の強さに驚くばかりだ。 凝らすような技巧はもともと私にはないから、詠まれている言葉は多少古めかしくとも基本的にまっすぐ素直なもの。それでも、見たもの、聴いたもの、触れたものと私とが関わり合うその在り方、ぬくもりのようなものは私だけのもので、しかしそれを私の外に持ち出してみようというちょっとした挑戦、届くという結果を期待しない遊戯のようなものが、いかなる形であれ表現と呼ばれるのだろう。 ぐちゃぐちゃに感情を掻き乱されて、何とか自分の軸を保とうとして、何の未来もないひどい日々だという

keiichiroyamazaki
1月24日
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