道
- keiichiroyamazaki

- 6月5日
- 読了時間: 2分
更新日:6月12日
長く留まればその土地に親しみが生まれ、いちばん大切な神への愛を忘れてしまう。だから2年ごと各地の僧院を巡るのだと修道女は言った。優しく朗らかな彼女らが十字架と共に旅する代わりに、貧しき芸人は喇叭と太鼓を携えて往く。
当面の食い扶持のため古着のように売り飛ばされたジェルソミーナは惨めだし、羽を生やした綱渡師の言う通り、彼女に語りかけたいと思いつつも吠えるしかない愚かな犬のごときザンパノもまた、目を背けたくなるほどに痛ましい。小さな石ころに価値を見つけるように、彼らはその不仕合せにあって互いの中にか細い光を見る。苦しく、醜く、拙くとも。
綱渡師を死なせてしまってから後のザンパノの振る舞いが気にかかる。ショックを受け働けなくなったジェルソミーナを厄介払いで捨てた、そればかりではないように見える。スープを作り、故郷が恋しくはないかと問いかけ、陽に当たるよう促し、去るときにはいくらかの金と、彼女の好きな喇叭を与える。他の女と遊びに行く夜でさえ独り通りに放り出したというのに、狼藉者はそれまで一度でもこんな眼差しを彼女に向けただろうか。ただ追い詰められ憔悴しただけであったのかもしれないが、何かが変わろうとしていたことは確かだ。
故郷の妹や弟たちは大きくなったろうか。彼らもまたどこかへと売られていったのだろうか。この名作の美しさは、どこにも救いなどないような厳しい世界に生きながら2人の姿にいじらしいささやかな幸福が感じられ、それがさらなる憐れみを誘うところ、そして愛情深い赦しの奇蹟にある。私が去ればこのひとは独りだと思うことは己の価値を見つけることではなかったか。獣臭い荷台での貧しく荒れ果てた生活の中では、互いに抱いた嫉妬さえ甘苦い薬酒のようではなかったか。
天使の歌は受け継がれ、嗚咽するザンパノの背後には夜の海が広がっている。光の届かぬ漆黒の中にしかし、白い波が絶え間なく、寄せては返す。
【お知らせ】
今年11月の個展の情報が公開されています。
毎回おなじみDM代わりの栞も完成しておりまして、6月5日現在置いていただいているのは
中目黒SUT
経堂elmo
まだずいぶん先ですので現在は上記2箇所のみとなりますが、ご所望の方は是非訪れてみてください。どちらもとても素敵な場所です。
もちろん私も何枚かは持ち歩いていますので、直接お会いすることがあれば差し上げます。
今年も皆様にお会いできるのを楽しみにしています。
6月28日に海老名でジャズライブに出演しますが、どうやらSOLDした模様です。
