メトープ
- keiichiroyamazaki

- 1月24日
- 読了時間: 2分
更新日:1月26日
仕事で疲れ果てて、まともに読書をするような気力もなくて、ふと、昨年夏に作った歌集をぱらぱらと捲ってみた。昔詠んだなつかしい歌を引っ張り出して手直ししたり、記憶を頼りに新たに詠んだりと奮闘していたのがずいぶんと昔のように感じられる。
詠まれているのはギャラリーで見たものの記録代わりであったり、何気ない風景であったり、友人や知人、親族や恋人であったり。ひとに関わるものについては特に瑞々しくその記憶を呼び起こすもので、それが読まれる方にどのように届くものかはわからないが、その力の強さに驚くばかりだ。
凝らすような技巧はもともと私にはないから、詠まれている言葉は多少古めかしくとも基本的にまっすぐ素直なもの。それでも、見たもの、聴いたもの、触れたものと私とが関わり合うその在り方、ぬくもりのようなものは私だけのもので、しかしそれを私の外に持ち出してみようというちょっとした挑戦、届くという結果を期待しない遊戯のようなものが、いかなる形であれ表現と呼ばれるのだろう。
ぐちゃぐちゃに感情を掻き乱されて、何とか自分の軸を保とうとして、何の未来もないひどい日々だというのにその中にこの上なく甘美な瞬間もあって、勇気を振り絞ってそれを断ち切った午後に遠い声をぼんやり聴くように見上げた浮雲。親しいひとを永遠に失って、失意に任せてただ歩いた夏の日のすばらしい夕焼けと、暮れてゆくのを見送るように頭を垂れる向日葵。
流れる水のように、時間は記憶を磨いて円やかにしてくれる。誰かの意識の中に、私もそんなふうにころりと留まるのだろうか。
