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道化

  • 執筆者の写真: keiichiroyamazaki
    keiichiroyamazaki
  • 10月30日
  • 読了時間: 2分

更新日:11月1日

学生時代に働いた街を歩いた。もう25年も経つというのに街並みはあまり変わることもなく、お店はとうの昔になくなってしまったがなつかしいビルはきれいに維持されて、あの頃と同じフロアに残っているテナントもあった。めずらしくスマートフォンで何枚か写真を撮ったが、レンズの歪みがひどくて、やはり使う気にはなれないと思った。


若かったが希望はなかった。苦しい生活をして将来のことを考える余裕もなく、それでも友人には恵まれて、恋人がいて、いちおう目先の一日一日を笑って過ごしてはいられた。音楽を通して世界が一変する前夜、2000年になろうかという頃から8年ほどの、耐えるばかりの日々。流されるまますっかり自堕落な人格が形成されたのはこのころの生活の影響がとても大きいだろう。それ以前はもう少し勤勉でましな人間だったはずだ。


プロコフィエフを聴く。彼の音楽の本質は「ピエロのような喜劇性」だ。知的で冷徹で、皮肉に満ち、揶揄や嘲笑めいてユーモラスで。人間らしい情緒を笑い飛ばすかのようなそのグロテスクさにはある種の哀愁があって、しかしその悲喜交々を業のように抱える人間はそれゆえに豊かで、幸福でもある。そんな複雑さを備えながら、絆されることなくフィジカルで生き生きとした歌が成り立っているところにその滋味があろう。


ルガンスキーによるピアノコンチェルト2番の1楽章。カデンツァの叩きつけるような痛ましいほどの激情に当てられたのか、思わず涙を誘われた。プロコフィエフが好きだと言ったあのひとにはもう会えないが、年月を超えてほんのすこしだけ、通じ合えたような気がした。


夜は、ずいぶん寒くなってきた。

 
 
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