残香
ありがたいことに今年も個展プレイベントのジャズライブを11月10日に開催することになった。昨年演奏をしてからはなかなか音楽をやる暇がなかったけれど、お尻に火がつけばそう言ってもいられない。まず心身の不一致をどうにかしなければならないから、無理矢理にでもセッションをして叩き直そうと奮闘している。
特定のセッションに馴染むことは、ほんとうはあまり好まない。今年見た初夢のように、見知らぬところに独り飛び込んで、はじめの一曲か二曲、手の内のわからない緊張感の中張り詰めて演奏をすることがよいトレーニングになると感じているからだ。色々な場所で、知らない人たちとジャズをやって、同じようなことをしていてもその雰囲気は千差万別だ。殺伐として震えがきそうなところもあるし、和気藹々ではあるものの緩みすぎて音楽がすっかり疎かになっているところもある。お店の雰囲気や店主のキャラクター、ホストミュージシャンと集まる人たちのお人柄によって場の空気は驚くほど違う。
先日伺ったセッションは、リーダーを務めていた大御所ミュージシャンが闘病の末に亡くなられた翌日というタイミングだった。お名前は聞いたことはあったが面識のない方で、それでも不在を守ってこられたお仲間のホストミュージシャンと常連のプレイヤーの方々の雰囲気から、かなりざっくばらんに、でも真摯に朗らかに、その場所の音楽を時間をかけて育んでこられたその残り香や温もりのようなものが確かに感じられた。
練習のためふらりと寄ったたかだか2〜3時間のセッション。そのときの出来不出来のことはもう覚えていない程度だけれど、その場所で過ごした時間の余韻のようなものはこの先どこへ行ったとしても揮発しきってしまうような類のものではない。受け継ぐと言ってはおこがましいが、たとえスタイルは全然違っても、私は私の揺るぎないものをもって、それを淀みなく発して演奏したいと思う。
どうか安らかに。