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  • 執筆者の写真keiichiroyamazaki

ライブを終えて心穏やかな日々。その場で一発勝負なんとかしなければならない音楽と違って、個展は愚直にこつこつやりさえすればよく、プレッシャーは特にない。準備はほぼ済んでいるし、ただただ楽しみだ。ライブは個展の余興のようなものだったのだけれど、ステージに立つことは遊びでは済まされないから、今は解放されてふわふわとした気分を満喫している。


やるものが音楽から写真に変わった頃性格が丸く優しくなったと感じて、年齢のせいかと思ったけれど、それは違う。演奏をしているときの精神状態は決して怒りではないが、音楽は確かにそれによく似たエネルギーの使い方をするもので、これを毎日のようにやっていたのだから、身も心もぼろぼろになって当たり前だとよくわかった。


やめた楽器をまた手にしてみた理由は、興味を持ってくださる方がいたことはもちろん、音楽の続きとして写真をやっている感覚があるから、これまでと逆側からそれを覗いてみたかったということ。即座に何かが見えてくる安直なことはないけれど、つまりはすることが何であれ私は私であって、色々な角度から求めるものを見つめることで私そのものを統べる原理のようなものが、よりはっきり鮮明にはなってきていると思う。


昨年12月の個展のとき、「どのようにしてご自分のスタイルを見つけたのか」と訊かれたから、スタイルを探したことはない、やるべきことは目の前にあったから、それをそのまま形にしているだけだと答えた。記号と認識、その隔絶とひとの孤独、共有の欺瞞といったことについては中学生の時点で考えていて、それから何年もかけて、音楽をやることと学問とが自然に繋がりを深めていった。その出力の方法が、成り行きでただ写真になった。それだけだ。


こんなふうに、自分が生きてきたことを確認したり再発見しながら、まっすぐふらふらとやっていく。それでよいのだと思えている。

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