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  • 執筆者の写真keiichiroyamazaki

一夜明けて

無事、個展が終了しました。ご来廊くださった皆様、気にかけてくださった皆様、短い会期でご不便をおかけしましたが、ほんとうにありがとうございました。


はじめて個展をしたとき準備に3年ほどかけましたが、そのときから私はただひとつのテーマだけを、できたら同じ手法と仕様でずっと続けていきたいと思っていました。この先一生続けていくことの第一歩として、その意志表示として。内容は、実はかなり遠慮をしなければならなかったけれど、それがはじまりでした。


一回ごと、単にその間考えたことの表出という硬直的なものではなくて、作品は会期の間、皆様との対話の中で様々な意味や価値を新たに与えられ、自然にまた未来へと繋がっている。自分が己の外側に作り出したものでありながら、内面や思考そのものが結晶して現にそこにあるかのように、私本体と同様に他者と関わりながら形を変えていく。そんなイメージで3日間を過ごしました。


私の作品に、思いもよらなかったものすごい価値を見てくださる方もいます。自分にはそういうことがわかりませんし自覚もありませんが、もしそんなありがたいものが作れているのであれば、それは私の閉鎖性、まず自分のために作っているということ、考えることに忠実に嘘なく作れていること、そうしたものが関係あるのだと思います。


私は野良犬のようなものです。とギャラリーでよく言っています。どこにも属していないし、業界の誰とも繋がりがなく、お作法もよくわからない。プロフィールにはえらそうに独学なんて書いているけれど、そもそも学んでなんかいない。でも、自分が思ったとおりに思ったものが作れていて、自分で納得のできたものが喜んでもらえてもいる。だから、これをただ続ければよい。最初イメージしていた通り、今もより自信をもってそう思えています。


誇りに思うのは、私の個展に来られる方々の8割が酒場の繋がりであること。アカデミックな感じが全然なくて、普通のひとたちの日常の、すこしだけ特別なひとときとして、金のためでも名誉のためでもなく、優しく穏やかに、崇高なものに思いを馳せることができること。そのためにはプリントされた作品のみならず、それが適切な場所にあって、そこに私もちゃんといて、レモネードやワインだって外すことはできない。単純化された情報でない生身で感じるまるごとの体験とはそういうことで、それこそが作品であり、貴いのだと思っています。


考えていることはずっと変わらなくても、その色合いはいつも変化し続けている。同じところをぐるぐると、何十年も回っているような気がするけれど、それは螺旋階段のような構造をしていて、見える景色は少しずつ移ろい続ける。人生はきっと短いのだろうけれど、急がず、よく見て、ただ歩いてゆく。

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