• keiichiroyamazaki

名残

気温が下がり金木犀が香り始めたが、まだまだ名残りか、意外に暑苦しく汗ばんだりもする。東京の夏が常軌を逸した厳しさになって久しく、また一年の中で本当に過ごしやすい季節はごく短いというのに、それでも夏が過ぎ去ってゆくときにはやはり一抹の寂しさがあり、それがまたこの季節の醍醐味でもある。秋が来るというよりも、夏の不在、過ぎ去ったところに残るものが秋であるように感じる。


時々、落語を聴く。職場でラジオを聴くときにも思うが、声や語り口というのは文章と同じくたいへんに残酷で、耳に合わないものが慣れて合ってくることはほとんどなく、第一印象ですべて決まってしまうようなところがある。それだけ丸裸で、背景や、そのひとの注意深さ、思慮の深さがそのまま表れてしまうのだろう。

昔ながらの古典落語。ストーリーは素朴なもので、舞台は現代とかけ離れていて馴染みはないのだけど、それでいい。優れた噺家がそれを音楽にしてくれるから、心地よく、愉快で、話なんかもうとっくに覚えてしまっても、何度も聴く。つくづく、何をやるのかということに大した意味はないし、そこに新しさを探す必要もないのだと思う。新しいものがあってもよいが、それは目的ではない。真髄との繋がりを探す中で自然に生まれてくるのなら、それに任せればいい。 涼しくなって、頭も脚もよく回るようになってきた。暑い間はゆっくりさせてもらったから、またよく走って、考えて、いいものが作れたらと思う。

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次回個展

写真をやるようになったのは成り行きであって、特別前から興味があったわけではないし、今も特に好きではない。伝えたい思いなんかないし、残したい風景や人の思い出もない。あったとしてもそれは胸の中でよい。消えてしまってよい。そんな調子だから「写真をやっている」と一応は言うものの、いいかげんな嘘をついたようで、きまりが悪い。 それでも、十代の頃から自分が考えてきたこと、追い求めてきたものに近づく道がレンズの

備忘

小沢眞弓氏の個展。 これは、ブルゴーニュ、ヴォーヌロマネのような絵画。ひと目には長閑で穏やかで優しい風景、何ひとつこれ見よがしなところがないのに、豪華な額縁にまったく負けるところがない。そういえば、反対色ということか、サインは落ち着いたワインレッドで記されていた。 精緻すぎず、ぼかしすぎず、鮮やかすぎず、淡すぎず、厚くもなく、かといって薄塗りというわけでなく、リラックスした自然な構図で、固すぎず、

醍醐味

ホームラン王争いが40本を超える水準になると、やはり華やかだ。村上宗隆選手は一年目からとても好きだったけれど、思っていたよりもずっと早く、期待していたよりもずっと偉大な選手になってしまって驚くばかり。羽生結弦選手が出てきたときに似た感覚だ。頂点に至る選手というのはこういう鮮烈な現れかたをするのだなあとつくづく思う。 岡本和真選手だってもちろん立派だ。あまり派手ではないかもしれないけれどコンスタント

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