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  • 執筆者の写真keiichiroyamazaki

あき

雨のお盆が過ぎて暑い日が戻ってきたけれど、どこか違う。これまで過ごしてきた夏の激しさがわずかに薄れ、夜にはこれから訪れる秋の気配がほんのり感じられた。安堵はもちろん、同時に名残惜しさも相まって、複雑な心模様だった。


昔のひとはさかんに「秋」と「飽き」を掛けて和歌に織り込んできたけれど、飽きは意識のもとに自覚される充足とは限られず、過ぎゆくものごとの単なる変化と、そこにいる自分との間に生まれるひとつの作用なのかもしれない。その様が想像力を駆り立て、恋の終わりに見立た歌がたくさん生まれたのも当然と思う。

Michel Legrandにthe summer knowsという曲があるが、この「あき」の風情を見事に写し取った名曲だ。ヴォーカルでは明示的すぎるから楽器によるものがいいだろう。Art Farmerがすばらしい。同主のメジャーとマイナーを移ろいながら、たった28小節のテーマの中に恋の喜びと、秘密ゆえの後ろ暗さ、儚さ、折り合いのつけられぬ不安定さ、喪失感、終わりの安堵、あらゆる情緒が美しいひとつのメロディにまとめ上げられている。私は絶対音楽主義者で、音楽が描く「何か」は示される必要がないと思っているけれど、文句のつけようがないすばらしい仕事だ。

the summer knowsを直訳すれば「夏は知っている」となり、つまりは夏のほかに知るもののない秘密であることが暗に語られている。「おもいでの夏」というタイトル訳は、どう考えても、やはりひどい。

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